毎週金曜日の官邸前抗議行動の主催者が批判を浴びている。

労働組合の旗をデモに持ち込まない事、時間通りに散開する事、警察警備に馴れ合いである_等々、様々な批判がSNSなどで盛んに語られ論議を呼んでいる。

しかし、参加者の数の少ない時から、雨が降っても風が吹いても官邸前に立ち続け、脱原発を官邸に求め続けた来た成果が今日の数十万人のデモ参加者数だ。

この抗議行動はドレス・コードならぬデモ・コードがある。
人数を集めたいとする主催者の示したものが労組の旗揚げ禁止、時間厳守、シングルイシュー参加
等、でそれは今までの開催された金曜抗議行動で厳しく守られている。

この主催者の参加コード設定は一般参加者の再大多数の好意的な反応を呼んだ。
一般参加者にデモの敷居を低して集まり易いようにして、主催者の「政党、組合としての参加不可、旗持ち込み不可」というシングルイシューの呼びかけが徹底していたからこそ、そのマナーに安心して一般参加者が増えたのだ。

政党や組合の旗に集まる集団に脅威を感じる個人参加者の集まりたい意志を優先した結果の大集会である。
政党や組合の動員よりも、シングルイシューの動員が勝った。
原発反対の運動は生活権、生存権を求める物に変質している。
イデオロギーではなく、生活面に直結してきているので、個人が、母親が、孫を見る祖母が立ち上がったのだ。
仕事帰りのサラリーマンも、官邸前に集まりたいのだ。
ここにデモ主催者、「首都圏反原発連合」のデモ・コードが効力を発揮して、「それなら自分も・・・」というビギナーが集まり易くなった。

決して今までの動員参加デモや集会を否定しないが、今まで抗議の場に姿を現さなかった参加者を官邸前に集合させたコード設定は画期的であり、新しい抗議集会のスタイルを生んだ。
官邸前に集まる、再大多数は、動員目的でない数だからこそ、官邸への抗議に効果的で、警察も閣僚も
対策が見えず、不気味に感じている事だろう。

このデモ・コードに反発する人は、何故此処まで多くの人が集まったか、有名人が政治家が個人で集まって来るのか、分析し、自らも自分達の意志が反映するデモ・コードでデモを主催すれば良いと思う。
そうでなければ、苦労して人を集め続けて来た主催者達に敬意のない「成さならざる者達の嫉妬」と揶揄されても仕方ない。






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