「私は此所を追い出されたら、ホームレスですよ」
聞くと悲しい言葉だが、老人は笑顔と清々しい様子で語ってくれた。

写真は東急電鉄の大井町線・大井町駅の高架下に住む野尻浩史(73才) さん。

 野尻さんは今、67年間も住み慣れた大井町線の高架下住居から家主である東急電鉄に立ち退きを迫られている。
今年の八月に立ち退きを指示する東急電鉄側の仮処分を認める判決が地裁で降りた。
これは強制代執行(無理矢理退去させられる事)をされる可能性があるため野尻さんは裁判所に担保金50万円を収め、仮処分の停止の申し入れをしたところだ。

 「僕はここに6才の頃から住んでいるんだよ。戦後直ぐの事だ」
野尻さんはこの場所への思いを語り出した。
「父親は国鉄職員だった。当時国鉄の職員は薄給でね、それで母が一階の部屋を店にして、商売をはじめたんだ。父が仕入れて来た芋を蒸かして売ったり。食べ物が無い時代だから、良く売れたそうだよ。」

 高架下にも小さな家族の営みがあったのだ。

写真は野尻さん手作りの垂れ幕。


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 この高架下立ち退き問題は16年前の阪神淡路大震災の時に国交省から出された「耐震補強工事に関する申し入れ」があり、東急電鉄以下公共インフラ各社に通達された事に起因するらしい。
これらの事を前提に、約3年前に高架下の補強工事の為に居住者に立ちのくよう通告があった。

 「16年前に東急電鉄に言っておいて、我々住民には何の警告もなかった。だから家主の東急電鉄から耐震補強工事するから立ち退け、は寝耳に水だった。」

 立ち退き命令の条件は過酷な物で、問題が生じたら家賃は三割増で要求する、立退料は出さない等で、野尻さんは同じ高架下に住む商店や住人20数軒で立ち退き反対運動をするグループ「新道会」を作り抵抗を開始した。
しかし次々と立ち退いて行き、今、野尻さんの周囲には一軒しか残っていない。
そんな時、東急電鉄は野尻さんにだけ立ち退きの仮処分を求める裁判を地裁に起こして来た。

 「僕が立ち退き反対運動の会長をやっていたもんだから、嫌がらせだよね。」
と、苦笑いをする野尻さん(写真)。

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 裁判が始まったときから問題が起きた時に発生すると契約にある、家賃割り増しの請求もあってその損害遅延金が五ヶ月分も発生している。
野尻さんは無一文でここを出て行かなければならないのか。

 この高架の物件契約は最初は三年、後は一年ごとの更新で借家借地権法に基づかないもので住民の居住権は認められないものだったと言う。(一時貸し契約)
「僕は今、月8万円の年金暮らしだよ、兄弟と暮らしているから光熱費も割り勘だった。一人になったらどうすればいい?人権的にも人道的に問題だよ。」

そして冒頭の言葉に繋がる。

 東急電鉄は建前は耐震補強工事の為にと立ち退きを迫っているが、本当に耐震工事は必要なのか。
「3・11の時も被害はそんなに無かった。断水も停電もなかったよ。」
住民側から、耐震について苦情や不安の声も出なかったという。
「東急電鉄側は(僕らが立ち退いても)高架下を貸さないと言ってるが、そんな事はないよ。ほとぼりがさめたら新しく貸し出すよ、“戦後のしがらみ”を一掃したいんだよ。」

 立ち退きの仮処分を認める判決へ停止の申し込みをして50万円の担保を差し出した今、野尻さんはやる事はやった、と朗らかに笑う。
「僕にも意地があるよ、ここまで東急電鉄に虐められたんだから。」

 戦後直後から、家族で蒸かした芋を売って67年間生き延びて来たこの街で、野尻さんは今、まさに路頭に迷おうとしている。

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 追記 おかげさまで野尻さんは東急電鉄と和解し、最悪の事態を免れました。
皆様の拡散に深く感謝致します。

 木星通信 拝。