木星通信 @irakusa

紙屑が発信するごみサイトです。

2013年04月

しばらくの間、サイトの更新が出来ない状況になりました。

その日その日に起きた事件、イベント、記者会見…フレッシュな情報を素早く、分かりやすく、お届けしたいと頑張ってきましたが、個人的な事情でサイト運営をして行くのが難しい状況です。

これからは、一つの事件をジックリ追う調査報道をできればいいな、と思っています。

全く更新が止まる訳ではなく、講演会の感想や、書評レビューなどたまに、突発的に更新があると思います。

半年 ニュースブログをやって見て、日本のパブリックアクセスの不自由さ、認識の低さを実感しました。

全ての市民が、事件事故に直面したらその場で情報発信のジャーナリストになる。
そんな社会が理想であります。

記者クラブメディアでも、フリーランスでも、パブリックアクセスに無理解な人達は、います。市民ジャーナリズムの壁は、情報のアクセス権を独占するプロの記者達であり、記者クラブメディアだけが既得権益を死守してる訳では無い、と思います。

国民の知る権利に貢献出来る素材を持つ市民は沢山いるはずです。
才能ある市民が報道へのアクセス権を持ち、自由に会見に出入り出来るようになれば…

市民が記者証を手に入れられるプロセスを明確にして、情報アクセス権の自由化を向上出来るようなシステムが早急に造られる事を願っています。

時々、「フリーランス記者を応援したい、どうしたら良いか?」と言う事を聞かれます。
私は、「声をかける、マネタイズ」と答えます。
どんな形でも、声援を贈る。金銭の援助をする。
著作物があれば、新品を購入する。感想を出版社に送るなど、個人で出来る範囲のものです。

私のサイトにも、沢山の方から暖かい声をかけて頂き、有難うございました。
厳しい批難もありましたが。

また、投稿も増え、ニュースブログとして、多面的な情報発信が出来そうになった矢先のサイト休止ですので、残念です。

夏くらいを目処にまた、勉強もし直してパワーアップして戻って来ます。
その時は、またどうぞよろしくお願い申し上げます。

木星通信 拝

@irakusa





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タイ・プーケット

 春休み、保養をかねてtwitterで知り合った方に会うためタイへと旅立った。
ネットで知り合った方とのオフ会はこの10年何度もやっており、ネットに慣れ
ていない人にとってはチャレンジャーに見えるだろうが、何も心配していなかった。

 むしろ今時のチケットレスの飛行機のシステムのほうが心配だった。子どもを
3人連れ、上海乗換でプーケットへ。到着が真夜中1時を過ぎ2時になろうとい
うのに、Aさんは空港まで迎えにきてくれていた。

 タイはムッと蒸し暑く、蒸し暑いのが好きな私としては、肌寒い春の日本を忘
れられ、とても嬉しかった。南国の花が飾られ国王の写真も掲げられている。

 ホテルのプールは、塩素消毒をしない薄めた海水でとても体に良いものだっ
た。食べるものに関しては、子どもさえ気に入ればタイのご飯は美味しいし安い。

 1つ例をあげるなら、アメリカンブレックファーストが150バーツ(およそ
450円)なのに対し、タイの混ぜご飯みたいなものなら50バーツ(およそ
150円)。うまく選べば安く過ごせる。

 迎えに来てくれたAさんは、たくさんの構想を持っていて、タイへの母子避難
なども計画のうちに入っている。3日も一緒に居たわりにはおしゃべりする時間
が少なく、細かいところまでは聞けなかったが、その一端は見えた気がする。

 Aさんは、女性1人で現地暮らし。それで日本円にして、水道光熱費、家賃、
食費すべて込みで5〜6万円で暮らせるという。子どもつきなら、10万円くら
いにはなるだろう。母子避難だけでなく、現地でどう経済的自立をするのかな
ど、着々と計画を練り、協力者を見つけていってる、という様子だった。

タイ プルメリア


 日本のムーブメント、たとえばアーティスト有識者会議の三宅さんが政党を立
ち上げたり、そのような日本各地での小さな蜂起だけでなく、一個人であるAさ
んの「女子が自立するぞ」構想はとても頼もしく思えた。

 日本のどこに避難するか、でなく海外への避難もあり得る、と実感できた。実
際に今がその時だというわけではない。しかし何事か起こった時に、選択肢が多
いほどいいだろう、ということだ。

 また数十年後、老後を少ない年金でどう過ごすか、などのヒントにもなったか
と思う。たくさんのヒントとアイデアをもらった旅だった。

タイ ゾウ



 元山ゆん 
 
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原発被害者と支援者の集い

 

原発災害被災者の風化を止めるための集会「原発被害者と支援者の集い」が3月24日、日比谷公園の野外大音楽堂で開かれた。

 主催したのは、原発被害者の会と原発被災者義援の会だ。被災者は現在起きている問題や不安を訴え、支援者は被災者を励ました。

 

写真:原発被害者と支援者の集い

 

【被災者(被害者)の発言】

浪江町から避難している眞塩佐知子氏は「国と東電には加害者としての誠意が全然見えない」「避難生活が長期になるほど、心の負担は計り知れない」と訴えた。
 

南相馬市在住の鈴木直清氏が「私は放射能の事はわからないが『年間100ミリシーベルトまでなら放射能は怖くない』と言うなら、除染をやめろ」と述べると、会場から笑い声とともに拍手が起こった。

 

【支援者の発言】

矢内世夫氏(原発被災者義援の会代表)は、この集いの目的について、「現時点で、原発被害者・被災者の存在そのものが、日本全体として忘れられている。その風化を止めるためだ」と述べた。
 

加来健一氏(地球こども新聞編集ディレクター)は「被害者同士スクラムを組んでがんばって欲しい。そして、僕達はそれを支えていきたい」と被災者を励ました。

矢内世夫氏

                                                  写真・矢内世夫氏(原発被災者義援の会代表)
 

 

【参加者へのインタビュー】

浪江町から郡山市に避難している渡辺ルメ子氏は、この集いに参加した感想について尋ねると「(この集いは)良かったが、自由に発言出来る機会がなかったのが残念だ」と答えてくれた。

神奈川県在住の原田茂氏は「被害者の方を支えたい」と話してくれた。

 

 

 

【全国市民記者クラブ 佐藤秀則


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