『身近な人に311について聞いたみた 〜私の祖母の話〜』

 

私は、福島県いわき市で生まれ育った。そのいわき市は、東日本大震災が起きて、地震、津波と原発災害の三重の災害にあった。さらに、東日本大震災が起きたちょうど1ヶ月後の4月11日にも大きな地震が発生した。その被害も大きかった。(※参照)

 

私の実家は、いわき市の中の遠野町と言うところにある。遠野町は、市内では比較的人口が少なく、田畑や山が多いところで、簡単に言えば田舎だ。海からは離れているので、津波の被害はなかった。

なお、実家は福島第一原発からは直線距離で約50キロメートルの位置にある。

 

そのいわき市遠野町の実家に住み、災害を体験した86歳になる祖母に、話を聞いてみた。(祖母は3月の地震も4月の地震も実家で体験している。)

 

 

◇◇◇祖母の話◇◇◇

 

【地震の体験】

3月の地震の揺れはとにかく長かった。でも、午後3時くらいで明るかったので、まだ良かった。4月の地震は午後5時すぎで真っ暗だったし、雨が降って雷も鳴っていた。それに3月の地震よりも揺れは長かったし、大きかった。4月の地震が起きた時は、揺れがおさまるまで、畑にあるビニールハウスの骨に掴まっていた。揺れがおさまって、家に戻って玄関を開けたら、下駄箱(高さ2メートルくらい)が倒れていた。それで家の中に入るのに苦労した。中に入ってみたら、仏壇まで倒れていたのでびっくりした。

それと、家の裏手側の壁の一部は崩れてしまった。

 

【原発災害】

食べ物は、(放射能の問題があるが)もう年だから気にしていない。

畑で作った野菜を食べている。米は、検査してもらって大丈夫だった。(簡易検査では、去年も今年もセシウム134とセシウム137の値は検出限界(20Bq/kg)未満だった。)

放射能騒ぎがあってから、近所では、山に入ってきのこや山菜を取る人は減った。

 

【原発の是非と復興】

 原発はもうこりごりだ。原発はなくせばいいんだ。

 復興は、もう年だから考えていられない。