2013年2月24日、午後三時から、福島県双葉郡、浪江町の警戒区域に指定された牧場で殺処分の牛を生かし続けいてる「希望の牧場ふくしま」の吉沢正己さん(58)が東京渋谷の駅前で街宣を行なった。

 吉沢さんは日曜日の買い物客で賑わう渋谷の駅にバンを停め、ハンドマイクを握って「子ども達の未来の為に、農家の為に原発の無い社会を」と訴えた。

 吉沢「このままでは、僕たちの未来は、子ども達の未来だってない!皆さん、今止まっていた原発の運転がこの秋にも自民党によって、再稼働の話が本格的に持ち上がるでしょう。でも大地震は来る。大津波が起きた、もう、ああいうのが二度と起きない、そんな事はないだろう。今日本の地震は活発化しております。あのような15メートルの津波がくれば持たないのは日本の原発、どこも同じです。

 再び放射能まみれの汚染事故、双葉郡の二の舞を起こしてはならないのです。昨年来より、首相官邸や国会議事堂を包み込むような、毎週毎週の抗議のうねりが続いております。

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 皆で広く連帯をして、皆で深く連帯をして、どうしても、子どもや孫達の未来の為に原発の時代を乗り越える。ヨーロッパやドイツでたどるような、そういう国作りの為に皆で頑張っていきましょう。
福島県双葉郡、浪江町。僕らの町が酷い放射能まみれにされてしまった。皆追い出され帰れない。なんで町の意味が無くなるような仕打ちを受けなければならないのか。

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 残りの人生をかけながら。東京電力の責任、政府の責任、原発依存の有り様を問い続けたいと思います。皆で日本の子ども達の未来の安全の為に 農家の皆さんが放射能の被害を気にしなくて住む様な、そういう日本の未来の為に力を尽くそう!皆様どうぞ宜しくお願い致します。」

む386


 吉沢正己さんは昭和29年3月6日生まれ。
千葉県四街道市の出身。東京農業大学畜産科卒業。

_M牧場という名前から「希望の牧場ふくしま」に名前を変えたのはどうしてですか_

吉沢「3・11前は牧場は牛を預かって太らせて売る経済活動をしていました、しかし、被曝してしまったので350頭の牛はもう売れない、政府からは殺処分しろと命令が来ました。国にとっては迷惑な存在なんです。しかし、我々牧場は生かし続ける事を選んだ。原発事故の生き証人として生かし続ける事にしたんです。もう経済活動ではないので『希望の牧場 ふくしま』と名前を変えました」

__吉沢さんは何処に住んでいるんですか__

吉沢「牧場です。だって牛が餓死しちゃう。牛飼い農家の意地にかけても、牛を殺す事は出来ない。(警戒区域の)ペットは保護されるのに家畜には殺処分される、て、なんだと。同じ命じゃないか、と。
これは経済じゃないんです、ベコ屋の哲学なんです。」

__警戒区域に住んで不自由はないですか__

吉沢「郵便が来ない、新聞が届かない、宅急便が届かない 新聞は南相馬に行ってコンビニで買います。電気、水道も来てる。薪ストーブで温かい暮らししてるし。ま、新聞は見たいし。宅急便は連絡あって取りに行きます、色んな支援の物資が届くので」

___これからもずっと浪江町の牧場に住み続けるのですか__

吉沢「吉沢「牧場は居住制限区域に改定されました。だから罰則はなくなったんです、牛を生かすと決めた以上、被曝は覚悟しています」

___有難うございました__

 寒風吹きすさぶ渋谷の町に「僕らの町は意味が無くなった!原発の無い社会を作りましょう!」
と叫ぶ吉沢さんの声が響き渡っていた。
足を停め、耳を傾ける人びとが増えて行き、吉沢さんの希望が実現する事を祈りたい。

『希望の牧場・ふくしま』支援物資の宛先は
〒979−1501
福島県双葉郡浪江町立野春卯野157

吉沢正己さん まで。



希望の牧場公式ブログ
 
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