雑誌編集者Aさんから原稿頂きました。内容は木星通信が「上杉隆講演会in東京」の講演会の内容を許可無しで記事にした事で激しく批難されていますが、それについて講演会内容を無許可で「書いてもいいのか」「いけないのか」に「削除しろと言われれば削除しなくてはいけないのか」について、です。

 「報道の自由」とはなにか_「取材規制とは何か」木星通信ではみなさんのご意見をお待ちしています。

____________書き出し_________


 「〜準備会」と周りの外野が言っている、「取材の申請しなければ、講演内容を記事に書いてはいけないのか」という件についてです。

結論は、もちろん「書いてもいい」です。

 例えば政治家の不適切発言の報道は、過去に山ほどありますが、そのなかには講演会はもちろん、懇親会、街頭演説など、取材を前提としない場所での失言もたくさんあります。(例えばこちhttp://goo.gl/Gtkxh http://goo.gl/3Ud9p
記者会見場での発言のみ、記事にしてよいわけではありません。

 彼らが失言をした場所は、取材を前提にしていないかもしれませんが、発言者に許可を得ていないこと、書かれたくないと思っていることでも、公益性があれば、書いてよいのです。
 
それが「報道の自由」です。
 
 「報道の自由」は権力を撃つために、それだけ強く守られているのです。
逆に言えば、そのような立場の人物が公の場で発言するとき、
常に「記事に書かれるかもしれない」と意識して発言するべきだし、皆そうしています。
彼らが著作権や肖像権を盾に報道を差し止めようとしないのは、それが言論弾圧につながり、さらに問題が大きくなるからです。

 もちろん、取材者が取材対象者に対して礼を尽くし、あらかじめ媒体や記事の意図を説明して、取材申請をし、
原稿のチェックを受け、取材対象者の意に沿って修正する場合もたくさんあります。

 ただし、ニュース報道や批評などについては、書かれたくないことを書くことも多いので、取材申請をしない、記事も事前に見せない、削除や修正の要求があっても突っぱねる、などということは日常的にあります。
取材対象者と仲が悪くなることも当然ありますが、ニュース報道の世界では、それがごく当たり前です。

 「取材申請をしなければ、記事に書いてはいけない」としてしまうと、それは「情報の選別」になります。
「自分に都合の悪い記事は削除させる」ことがまかり通ると、それは「検閲」になります。
どちらも非民主国家がやることで、「自由な言論空間」「開かれた報道」とは対極にあることです。

 上杉氏サイドや周りの人たちが求めているのは、とっても「不自由な報道」です。
彼らはそれを分かったうえで言ってるのでしょうかね。

 ちなみに、上杉氏がリークするするって言っている、
オフレコメモというものについてですが(本当に40万枚も存在するのか不明ですが)、「オフレコ」とは、「これは記事に書かない」あるいは「名前は伏せる」などと約束をしたうえで話を聞くことです。
 
 上田さんのように「記事にするともしないとも言っていない」ではなく、
「記事にしない」と約束したうえでの談話が「オフレコ」です。

 それを公開するということは、ジャーナリストとしてのルールのみならず、
人対人との約束を反故にしていることです。また、ジャーナリズム全体にとっても、マイナスなものなのです。

 その理由として有名なのが、ローリングストーン誌のマイケル・ヘイスティング記者の事件です。
アフガニスタン駐留米軍のマクリスタル司令官は、
「オフレコ」での暴言をヘイスティング記者に公開されてしまい、辞任する顛末となりました。

 これをやられると、ジャーナリストと情報源との信頼が崩れてしまい、
政治家や官僚などが口を堅く閉ざしてしまい、情報が得にくくなってしまうのです。
これは上杉氏がいつも拠り所としている、海外メディアも批判していることです。

 (記事中真ん中あたり)
>ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなど、ホワイトハウスに常駐記者を置く大手メディアは直後、
>ローリング・ストーン誌が、当事者がオフレコとみなしていたことを報道したという批判記事を展開。
彼は「海外メディアでは当たり前」のやってはいけないことを、やろうとしているのですね。

____A氏の引用終わり___

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