木星通信 @irakusa

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カテゴリ: 新聞社

 2015年7月13日、朝日新聞デジタル版が沖縄基地問題について、不適切な発言をした時事通信の記者が同社から注意を受けた事を報じた。
「時事通信、記者を注意 沖縄巡る質問で「不適切な表現」

 これは沖縄県議会が13日に可決させた「土砂規制条例」で、公有水面埋め立て事業で「特定外来生物」が付着している土砂や石材を県外から県内に搬入してはならないとするもの。(施行は11月1日)

 辺野古への基地移設に反対を表明する翁長雄志(おなが・たけし)知事らの与党会派が提案した。
「沖縄県議会土砂規制条例を可決 辺野古移設に影響か」

この条例により、基地移設工事に大きな影響が出るとされ、昨日官邸で開かれた管官房長官の定例会見で
時事通信の記者が「もう国としてある意味、見限っても良いような気がするが如何でしょうか」「もうこんな(条例を可決させた)連中は放っておいてもいいと思うがいかがでしょうか」などと質問し、これを問題視した同社が当発言記者に注意したという。

 この朝日デジタルの記事は大きな反響を呼びフェイスブックのシェアは503、ツィート数は2000近くに及んだ。

 沖縄の民意を得て当選した知事率いる与党会派が辺野古工事移設阻止の名案を可決させた事に対して、その動きを冷酷に否定する発言で、一記者の言葉とはとても思えないものであるが、時事通信の生い立ちを追ってみるとその発露の元が見えて来る。

 元々時事通信は戦前まで明治・大正時代に渡米した有識者達が日本に対する情報が少なく悪意に満ちている事、従軍記者らの情報伝達の重要性を痛感した事等から「電通」や「新聞社」が興り、様々な化学反応を起こした後、軍の情報情報統制の為に昭和11年、電通と新聞組合が合併した「同盟通信社」が前身である。

 これらが1954年のポツダム宣言受諾後、進駐した「GHQ」の「政府と新聞の分離指令」により、解体される事を恐れた「同盟通信社」社長の吉野伊之助が自らGHQに赴き、自主解散を申し出た。
これにより、明治・大正・昭和初期に急速に興った報道機関の集合体は分裂し、同年11月に共同通信社と時事通信社が発足した。

 日本の二大通信社は「GHQ」の許可を得て誕生した。
その後戦後70年、どのような記者教育があったか、米軍の情報統制があったか、定かでないが、昨日の記者の基地移設反対者に対する傲岸不遜とも思える質問に、「米軍統治下」時代の名残、どころか、時事通信の「GHQ統治時代」がまだ脈々と続いている、と積年の報道ベースを見せつけられた形である。

 日本の米軍基地問題の記事がアンチパワーの視点で書かれ、配信される事を望むのは、これでは無理だろう。


 出典 通信社の歴史
 渋沢社史データベースより、(株)共同通信社『共同通信社三十五年』(1985.10) 

       
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2012年7月30日発売の日刊ゲンダイより。


大阪貝塚市で昨年10月、泉佐野市に住む府立定時制高校1年・ 川岸朋之さん(当時18)が自殺し、府警が再捜査を始めた。

「110番通報する事が大事です。地元の警察に直接、相談に行ったり電話すると事なかれ、ウヤムヤになりかねません。
『110』は相談内容やその後の対応について報告義務がある上地元だけではなく、地域の警察全てに相談内容が明らかにされるために曖昧にできません」 

引用以上

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学校内であろうとも、脅迫、万引き強要は、犯罪だ。
もし、これらに該当する行為をうけたら、直ぐさま、110番通報すべし。
親への通報はその後でも良い。
早めの通報が被害を最小限に抑え、苛め加害者の増長を防ぐ唯一の手段だ。
ただしくれぐれも、証拠固めは万全に。 
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毎週金曜日の官邸前抗議行動の主催者が批判を浴びている。

労働組合の旗をデモに持ち込まない事、時間通りに散開する事、警察警備に馴れ合いである_等々、様々な批判がSNSなどで盛んに語られ論議を呼んでいる。

しかし、参加者の数の少ない時から、雨が降っても風が吹いても官邸前に立ち続け、脱原発を官邸に求め続けた来た成果が今日の数十万人のデモ参加者数だ。

この抗議行動はドレス・コードならぬデモ・コードがある。
人数を集めたいとする主催者の示したものが労組の旗揚げ禁止、時間厳守、シングルイシュー参加
等、でそれは今までの開催された金曜抗議行動で厳しく守られている。

この主催者の参加コード設定は一般参加者の再大多数の好意的な反応を呼んだ。
一般参加者にデモの敷居を低して集まり易いようにして、主催者の「政党、組合としての参加不可、旗持ち込み不可」というシングルイシューの呼びかけが徹底していたからこそ、そのマナーに安心して一般参加者が増えたのだ。

政党や組合の旗に集まる集団に脅威を感じる個人参加者の集まりたい意志を優先した結果の大集会である。
政党や組合の動員よりも、シングルイシューの動員が勝った。
原発反対の運動は生活権、生存権を求める物に変質している。
イデオロギーではなく、生活面に直結してきているので、個人が、母親が、孫を見る祖母が立ち上がったのだ。
仕事帰りのサラリーマンも、官邸前に集まりたいのだ。
ここにデモ主催者、「首都圏反原発連合」のデモ・コードが効力を発揮して、「それなら自分も・・・」というビギナーが集まり易くなった。

決して今までの動員参加デモや集会を否定しないが、今まで抗議の場に姿を現さなかった参加者を官邸前に集合させたコード設定は画期的であり、新しい抗議集会のスタイルを生んだ。
官邸前に集まる、再大多数は、動員目的でない数だからこそ、官邸への抗議に効果的で、警察も閣僚も
対策が見えず、不気味に感じている事だろう。

このデモ・コードに反発する人は、何故此処まで多くの人が集まったか、有名人が政治家が個人で集まって来るのか、分析し、自らも自分達の意志が反映するデモ・コードでデモを主催すれば良いと思う。
そうでなければ、苦労して人を集め続けて来た主催者達に敬意のない「成さならざる者達の嫉妬」と揶揄されても仕方ない。






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2012年7月21日、「長良川河口堰報道弾圧をめぐる三つの闇 ~朝日新聞の闇・官僚(建設省)の闇・裁判所の闇~」のシンポジウムが草の実アカデミー主催で開催された。場所は新宿、新大久保地域センター。
元朝日新聞社の記者・吉竹幸則さんは河口堰の調査報道の記事を差し止められた。
建設省、朝日新聞、裁判所の三つの闇によって、吉竹さんの調査報道が潰され、無駄な公共事業が強行された実態を語った。

この長良川河口堰の事業計画は必要のないもので、堰を作らないと、洪水によって決壊してしてしまう事になる架空のデータを載せた報告書で着工しようとしているのを土木建築専門の学者達の協力によって吉竹さんが突き止め、この工事計画が建設省の省益を得る為の物である事を告発しようとした。

しかし、
1990年に取材を完了し、新聞記事化する事をデスクに求めていたが、名古屋本社ではその記事は差し止めになり、その後栄転した東京本社でも記事化するよう求めたが、またもや名古屋本社の差し金によって記事差し止めになった。
1993年に河口堰建設に関しての記事が署名入りで朝日新聞に掲載されたが、続報は出されなかった。

その後吉竹さんは配置転換され、記者職を外されてしまった。
報道弾圧は記事差し止めだけではなかった。
人事異動の理由が長良川河口堰の調査報道潰しの為の左遷であったのなら、読者は記者をも潰す新聞社に社会告発、社会浄化を期待する事は出来ない。

2500億円もの公共事業費が投入された長良川河口堰工事が、まったく治水的にも利水的にも、無意味な土木事業であったという報告は衝撃的だ。
自然環境にも取り返しのつく事の無い重大な悪影響を与えた事だろう。
この報告が記事化されていれば河口堰建設は防げた筈と吉竹さんは悔しそうに語る。

社会の木鐸、とされる新聞社も、国策、省益の絡む告発記事を嫌い、労働組合は記者の孤軍奮闘を助けず、この記事潰しを黙認する。
吉竹さんはこの報道弾圧について、名古屋地裁に提訴するも実質審理は一度も行なわれず、高裁でも最高裁でも法廷でこの建設省の闇、新聞社の闇に光が当てられる事は無かった。
裁判所もまた、国策と省益の味方だった。

公共事業をでっち上げて省益を貪る建設省の闇、それを暴く記事を差し止めて記者からペンを奪った朝日新聞の闇、そして裁判所も闇を暴く機能を持たず、二つの闇に繋がっていた。
重なる闇は大きく、社会告発をする人間のリスクの大きさは計り知れない。
吉竹さんは退職後、この講演のタイトルとなった「報道弾圧」を上梓した。
三つの闇に光を当てようと闘った吉竹さんは今、定年退職したの悠々自適の身だ。
これからは、封印された記者魂を蘇らせ、既存の新聞記者がなし得ない様々な闇を暴く活躍を期待したいと思う、有意義なシンポジウムだった/
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報道弾圧

月一回、様々な社会問題を提起して語り合うシンポジウム開催。
↓林克明さん主催の↓
草の実アカデミー



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