2013年1月27日午後3時30分から5時30分まで阪南大学准教授の下地真樹(40)さんが『がれきと弾圧」をテーマにして東京で初の交流会を開催しました。
下地真樹さんは2012年12月9日に大阪府警に逮捕されました。
10月17日午後2時頃からJR大阪駅前で放射性物質が含まれる震災瓦礫を大阪市が受け入れ、埋め立てや焼却を行なう事への抗議行動を40名ほどの市民達と行いました。
抗議行動は大阪駅前付近で行なわれたチラシ配りや一時間半のシュプレヒコールなどです。
その行為が駅への威力業務妨害だというのが大阪府警の主な容疑です。
下地さんは取り調べで「駅員に呼び止められもしていないし、注意も受けなかった」と容疑を否定しました。すると府警は下地さんがビラ配りや通路妨害を「黙示」(運動仲間等に目で合図すること)しただろう、と取り調べて言い出したと言う事です。
「なんだそりゃ!」この日集まった60名余りの参加者は一斉に驚きの声をあげました。
下地さんは12年の12月28日に「処分保留」で保釈されました。
逮捕直後から抗議の声があちこちから上がった。中でも憲法学者ら70人が下地さんの逮捕は違憲行為であると府警に抗議文を叩き付けた、この事は多くの市民の感動を呼んだ。下地さんはこれにとても勇気つけられたと言う。下地「僕が逮捕されたとても早い時期に憲法学者達が抗議声明を出してくれた。それはとても力になったし、警察、検察への圧力になった。」
私はネット上で噂になっている、大学側の対応や警察の対応について質問してみました。
私「先生の勾留されている間に大学は接見をしましたか?」下地「それは僕が断りました、他の運動をしている人達の接見を優先しました。接見の回数は限られているので。僕の講義に関する事は、弁護士さんに手紙で渡すようにお願いしました。」
阪南大学は逮捕される事を数日前から知っていたが、下地さんに連絡する事は無かったと言う。
下地「大学もどうして良いか分らなかったんだと思います」と大学側に気遣いを見せていました。
私「預金通帳も差し押さえられた、と言う事ですが本当ですか」下地「はい、本当です。それは妻が詳しいから聞いて下さい」と言う事なので、会場に姿を見せておられた奥様に話を伺った。(以下A子さんとします)
A子「はい、通帳とパソコンは持って行きました。」私「何故通帳を差し押さえるのですか?」A子「私が通帳とパソコンが無いと困ります、と抗議すると公安三課の人が差し押さえのリストに入っている、と言いました。」
私「マニュアル通りに家宅捜索するのですね。」A子「多分、どこからかお金が来ているとかそいう疑いで持ってたんだと思います。」私「過激派扱いですね。警察は乱暴な言葉使いをしたり、不愉快な態度でしたか」A子「いいえ、私の家は普通の家なので、普通の態度でした。」私「通帳は保釈後帰って来ましたか。」A子「はい、無事に帰って来ました」
A子さんは私の質問にこう締めくくった「家宅捜索が土曜の朝8時だったから、土曜日の朝8時になると、また警察が来る様な気がしてしまうんです。夫はまだこれからも、瓦礫反対運動を続けるでしょう、きっと別の事で逮捕されてしまうかも。」
下地先生の奥様は別件逮捕の可能性を案じている様子でした。
この質問を終えて、私は大阪府警は広域瓦礫処理の反対運動と、反政府運動家と見分けがついていのではないだろうか?また警察という所は震災瓦礫の放射能の環境汚染や健康被害について何も勉強をしてないのではないか、と警察の社会変化への対応能力の鈍さを感じました。
下地さんは「警察と言う所は本当に幼稚な所です」と何度も繰り返していました。
また、不当逮捕に対する国家賠償を考えているか、との参加者からの質問には「あるでしょう」と答え、大阪府警とガチンコの姿勢を示しました。
震災瓦礫処理については「放射能の本当の危険は分らない。分らないから“安全”とするのは科学としてはありえない。本当に安全なら東電の社長が出て来て安全、と説明するべきです。瓦礫処理の危険について、恐れている人を守ってあげなきゃいけない」
とこれからも震災瓦礫処理への反対運動を続ける事を交流会で宣言し、拍手を浴びていました。(了)
Twitter @irakusa
写真は笑顔を絶やさず勾留の様子を語る下地真樹さん。
下地さんは「モジモジ先生」の愛称で知られ、勾留中も拘置係から「モジモジ先生」と呼ばれていたと言う。1972年8月23日生まれ。沖縄県那覇市出身。40才。