木星通信 @irakusa

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カテゴリ : 都市学

 2013年3月17日に、午後二時から東京新大久保で「在特会」(在日特権を許さない市民の会)約200名が在日韓国人に対する抗議デモ行進を行なった。


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 このデモは「春のザイトク祭り 不貞朝鮮人追放キャンペーン デモ行進in新大久保」との奇妙なタイトル通り、在日韓国人が多く住み、韓国人が経営するレストランやショップの多い新大久保界隈で店員や歩行者に向かって「キムチ臭い韓国人は出て行け」「韓国人はゴキブリ」「首を吊れ」などと叫びながら沿道を行進する。韓国人街でのヘイトスピーチ、威圧行為、嫌がらせが目的のデモなのだ。

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 この日、「在特会」は新大久保のドンキホーテ近くの大久保公園で決起集会をしたのち、商店街を隊列を組んで約二時間程、行進した。

 奇妙な日章旗の群れと心ないヤジの先頭はパトカーだ。そして「在特会」と寄り添うように歩く大勢の機動隊員達。


 多くの買い物客で賑わう日曜日の韓国人街に日章旗や日の丸が通り過ぎる。
反対側の歩道には「カウンターデモ」とよばれる「しばき隊」が並列して「レイシストは帰れ!」と叫びながら移動している。しばき隊とはレイシスト(差別主義者)をしばく(棒で叩く、こらしめるなどの意味)のを目的に野間易道氏の呼びかけで集まった人達でこの日は約100名が参加した。

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 韓国人街があり、そこに嫌がらせのデモを行なう人びとがいて、それに反発の意志表示をする市民の群れがいて、間に警察が入り、あちこちで歩道に機動隊員が壁を作って通行人に規制をかける。
それは異様な光景だった。巨大なエネルギーの混乱状態の固まりが新大久保付近を新宿方面に向かって行進していく。

 私はデモを撮影しながら、これで一体何が生み出されるというのだろうか?という疑問が浮かんだ。
そして通りがかりの親子連れは怯えていた。(日本人か韓国人か分らないが、モンゴロイドの親子連れだった)

 そして、午後四時に
デモ隊が大久保公園に戻り、散開の挨拶をしている所を撮影していた私に、ガラの悪い言葉で言い掛かりをつけて来た若い男が居た。
男「おいおい何やってんの?カメラ二つも持って。(実際にはiPhoneとカメラ)」
私「撮影してるだけですよ」
男「おい、こいつスパイだ、あっち側の人間だぞ!」
私「あっち側って何ですか?同じ日本人でしょ?」(←努めて優しい口調で)
男「(ビクッ)」
いきなり男が私のiPhoneを掴んで下に叩きつけようとした。
すると、若い女性が止めに入り、「それはやめな!」と私に返してくれた。
男と小競り合いになりそうになった瞬間、私は警官と機動隊に揉みくちゃにされて公園から連れ出された。(公安、機動隊、警官のミックスで30人くらいに取りか囲まれました)

 機動隊員に文句を言おうとすると、年配の公安が立ちはだかった。
IWJの撮影は こちら 
(私と公安との間に入って、加勢してくれたのが林克明さん、その後ろで心配そうにウロウロしてるのが田中稔さん)

公安「まあ、お話聞きますから」
私「携帯盗られました、帰ってきましたけど、暴行されました」
公安「あなたが無許可で撮影していたからでしょ?」
私「公園で撮影していたらいけないんですか」
公安「彼らが演説中でしたから」
私「どうしてですか、おかしいでしょう?どうして彼らを守るんですか」
公安「規制しています」
私「あの人達が『殺せとか』とかプラカード持っていても、警察はこのまま放置してデモをガードするんですね、ネットで『殺す』とか書き込みしたら逮捕されますけど、何故あの人達は放置なんですか」
公安「それは私の口からハッキリ今、明確に回答する必要はないと思いますよ」
私「彼ら(在特会)をガードしてますよね、現に」
公安「デモに対する規制です。うん、お互いにトラブルにならない為の規制です(ニコニコ)」
私「でもデモを反対する人達には道を封鎖されてますよね、あの人達にしないのは何故ですか」
公安「してますでしょ?一緒にしてますでしょ?」 
 
私「でも、許可してああやって一緒に歩いてますよね、お巡りさんたち、あれは何故なんですか、何故こういう風にデモを止めさせる為に道を塞がないんですか?」(私の後ろは機動隊が隊列を作って道を封鎖)

公安「道路交通に対して、歩道上から反対にね、方々がいてトラブルにならないように、それだけですね。ウン、それだけ。デモ隊の方に行って、双方当たらないように」私「個人的には辞めさせるのはあっちじゃないですか」(後ろで園良太君の呼ぶ声)

公安「それは、(クスクス)あなたの個人的見解は抜きにして、私が今言ったのは職務施行としてデモの規制に入ったのはそういう話ですよ」

 やり取り終わり。どうして、携帯を一瞬でも盗られた私が公園から連れ出されたのか、何故、警察は在特会の殺人予告クラスのプラカードに規制をかけないのか、それについてはまったく論理的な答えは返ってこなかった。

 在特会の新大久保デモは今後も続けられる。
日本に民衆扇動罪が立法されるその日まで。


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 2013年2月28日、東京都武蔵野市吉祥寺で深夜二時頃、アルバイト女性の山田亜里沙さん(22)が殺害された事件で、山田さんを刺した二人のうち、3月2日に逃走中の共犯者(18)が確保された。(先に逮捕された少年はルーマニア人で17才)

 いずれも少年法に守られており、氏名は公表されていないが、Twitterなどではルーマニア人少年の名前が特定されている。

 若者の住みたい街N0.1と冠が付く街・吉祥寺。
学校施設が多く、若者の街でありながら、落ち着いた個人経営の店が多く、井の頭公園に代表されるように繁華街と豊かな自然が共生して幅広い年齢層に愛される街だ。

 ここで突如起きた深夜の殺人事件。被害者と加害者に関連がなく、通り魔的な犯行である事が分っている。犯行動機は「遊ぶ金欲しさ」の短絡的な思いつきの犯行だという。

 この事件を聞いた時、人ごとではない、と思った。
何故なら、私もこの事件現場のすぐ近くで「通り魔体験」をしているからだ。
それは中学生の頃だった。事件現場から目と鼻の先にある本町四丁目に住んでいた私は母と買い物に出かけた。夕刻過ぎだったと思う。

 東急の地下食品売り場で最後の買い物を住ませた後、地上に出て帰路についた。
と、言っても東急から当時の自宅まで女性の足で歩いて15分程。いつもの風景、いつもの人の流れに乗って母と私は年末の買い出しで賑わう繁華街から住宅街に向いて歩き出した。

 しばらくして母が私の手を握って来た。母の方から手を握って来る事はないので驚いて顔を上げると、強ばった顔で母は呟いた。「誰か、付いてきてる」振り返ると電信柱の陰に若い男が立っている。灰色の帽子を目深に被り、鼻と口しか見えない。灰色のジャージにベージュのズボン。
無表情で無機質な風体に私は本能的に恐怖を感じた。

 緊張しながらしばらく歩いて振り向くと、また物陰に隠れる。俯き加減の顔からは何も表情が読み取れない。
不審な様子、と言えばそれまでだが、買い物帰りの女二人を戦慄させるには充分なシチュエーションだった。私は「何かされるのか」「どうしたら良いのか」と思いめぐらせながら、何度も頭に浮かんだ言葉は「何故私が」「何故私たちが」だった。

 通り魔の犠牲になって、あえなく命を落とした犠牲者達は、きっと同じ事を呟いたに違いない、といつも思う。目立つ事をした訳でも人から批難される事もしていない。平凡にその日の買い物を終えて、歩く普通の親子だ。

 それなのに何故。沢山の人達の中から
私達に目を付けたのか_今考えても分らない。
「このままでは家にまで付いて来られる」「このまま家を通り過ぎるとますます人気の無い所へ行く」正しく万事窮す_私は混乱していた。すると母は突然、目の前にあった酒屋へ飛び込んだ。
「助けて下さい、変な人が駅からずっと付いて来るんです!」酒屋には帰り仕度をしていたアルバイトの学生が居た。彼は我が家によく配達に来ていた。彼は私たちの必死の形相にまず、「変な顔」をした。そうだろう。親子連れを追いかけ回す不審者というのは聞いた事がない。「それじゃ、僕が家まで送って行きましょう。ついでですし」明るい返事に拍子抜けしながら、安堵する母と私。

 三人連れは宵闇が迫る住宅街を歩く。吉祥寺は今はアパートや低層マンションが増えたが、私達が住んでいた時はまだ敷地の大きな家が多く、日が暮れるとひっそりしていた。
直ぐに学生の顔つきが険しく変わった。
何故なら灰色の男は数メートルの等間隔をとって、ぴったりと付いて歩いて来るからだ。
もう物陰に隠れる事もなく、どうどうとすぐ後ろを歩いている。

 私たちの加勢を恐れて逃げる事も無く、むしろチームワークのように隊列に“参加”して来た。
私と母の疑惑は確信に変わった。「あの灰色の男は私達を“殺る”つもりなんだ」私が感じた本能的な恐怖は不審者から発せられた無言の“殺意”を感じ取ったからだった。

 罵り、叫び喚く男の怖さよりも、“殺意”を持った男の沈黙の恐怖と言うものをその時初めて知った。
話が長くなるので(私の打ち明け話はこのブログの趣旨に添わない)この辺にして、結局、辻角に学生が見張り役として立ってくれた。
辻角から何件目かが私の家だ。走って入れば男はどの家に入ったか分らずに見失うだろうという学生の作戦だった。

 私と母は辻角から脱兎のごとく走り、家に飛び込んだ。
私は家のドアの錠を手が震えて掛けられなかった。
サッシの取手も震えて降ろす事が出来なかった。警察に電話をする時も指が震えて中々かけられなかった。「強盗に襲われそうな家族のドラマ」のように簡単に戸締まりなんか出来なかった。父も兄も不在で、まんじりともせず一夜が明けて、母と私は恐る恐る酒屋に出かけた。

 酒屋の学生は青い顔をして、「あいつを待ち伏せして、腕を掴んだ、そしたら、あいつ、ナイフ持っていました。俺に見せびらかして「あの人を刺そうと思ってた」ってハッキリ言いました。俺が「警察に行こうな!」と叫ぶと逃げて行きました」と恐怖の体験を語った。男が逃げた後も警官が来るまでかなり長い時間、辻角に立っていてくれたらしい。

 「あの人」とは誰なのか。
私なのか母なのか。それともあの男の中にいる妄想の人物なのか。それは私にとって永遠の謎だ。

 その時まで転勤族だった私が住んだ家は社宅か借り上げ社宅。借り上げ社宅とは会社が転勤先で転勤者に社宅が用意出来ない時の為に会社が社宅用に借りる住宅の事だ。
私達家族が東京に転勤してきた時は、父が勤めていた会社の東京本社への配属ラッシュで社宅が空いていなかった。
やむなく逆に地方に転勤が決まった吉祥寺に住んでいた社員の住宅を会社が借り、私達に貸し出したのだ。

 明治時代の動乱期に名前が残る名家だった家で吉祥寺でも高級住宅街の中にあった。
中学のクラスメートは裕福な子女が多かったが、高い率で家庭が崩壊していた。
家庭崩壊の理由は新興宗教、家庭不和、親の事業の失敗...そんな中で、私の家も父親が社内の派閥抗争に破れ、左遷の憂き目に遭う。役職が外れると、借り上げ社宅から出て行かなければならない。
社宅の貸し出しは役員の特別待遇だったからだ。「またか。家はどうなるんだ?」兄と私はウンザリしながら「この街を出る事になるんだな」と思った。現にその家は会社から直ぐに退去の命令が出た。あまり吉祥寺に良い思い出はない。

 私達が出て行って直ぐ後、吉祥寺は古い大きな家が取り壊され、新しくアパートや単身者用のマンションが沢山建って人の出入りが激しくなったそうだ。駅近くに単身者の気持ちを紛らす遊戯施設が沢山増えて行ったのもその頃だ。

 殺人事件の報道を見て、久しぶりに住んでいた家に行ってみた。
元の貸し主の名札がかかっていた。母が私を連れて逃げ込んだ酒屋もまだあった。
そしてすぐ近く、歩いて数メートルで殺人現場だ。
私は母の咄嗟の機転で九死に一生を得たが、それが得られず「なんで私が...」と叫び声すら上げられずに若い命を絶った女性がいる。その事が悲しい。

 現場にはお友達だという女の子が泣きながら花を備えていた。「どんな人でしたか?」と尋ねてもなきじゃくるばかりだった。

 壮麗な住宅街の中に潜む孤独、単身者の孤独、そんなものを引き寄せるように吉祥寺は今夜もネオンで輝いていた。(了)



          被害者のお友達だという女の子達。最初は中々この現場に近づく事が出来ず、反対側の歩道でずっと泣いていた。

ともだち
通りがかりの人も手を合わせる。下校の小学生達も献花に向かって手を合わせていた。


慰霊

母が私を連れて駆け込んだ酒屋。生憎、閉まっていた。
 
酒屋





 




 
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東急大井町線の高架下に住む野尻浩史さん(73才)は今家主である東急電鉄から立ち退きを迫られ、
裁判を起こされた。
東京地方裁判所は立ち退きの仮処分を認める判決を下したばかりだ。

野尻さんは1937年の7月22日生まれ。
東急大井町線の高架下に6才の頃引っ越して来た。
親は国鉄職員、母親は一階に店を出し、6人兄弟の8人家族で高架下に住んだ。
戦後直後の事で母親は父親が仕入れて来た品物を店で売り、生計をたてた。

67年間住み続けていた高架下住居に、三年前の5月に突如家主である東急電鉄から立ち退きを迫られた。
野尻さんが拒否すると東急電鉄は「住民立ち退き訴訟」を起こして来た。
そして家主とトラブルが起きたら、家賃は三割増にするという貸し出しの時の条件を持ち出され、月二万三千五百円の家賃が四万二千円に跳ね上がった。

東急側から訴訟を起こし、それがトラブルだとして野尻さんのような高齢者に家賃の割り増しを請求するという行為に対して東急電鉄の用地課星野氏は「今裁判中なので答えられない」と話した。

一時貸しの更新を重ねて来た為に、居住権の主張も退けられた。
野尻さんは立ち退き仮処分の停止を求めて50万円の担保金を裁判所に出した。

野尻さんは今回の裁判について「これは裁判官の問題。裁判官は法律を使いこなす職業、運用次第ではベニスの商人や大岡裁きのような人情のある判決も出せたはずだ」
と残念がる。

東急電鉄側の主張として立ち退き請求は耐震補強の工事の為としている。
が、今まで高架下という悪環境を長く効果的に運用出来た利点もあった筈であり、行き場のない老人の追い出し裁判には厳しい批判の声が集まりそうだ。

都市の開発の陰に、戦後の経済を支えて来た高齢者達の排除が行なわれている事実がある。
発展と開発の繰り返しが弱者を圧迫し、さらに極端な格差が進み、誰でも簡単に格差のピラミッドから滑り落ちてしまう社会が出来上がり、その先にあるものは何なのか。
答えは近い未来にあなたに現れるかもしれない。


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「私は此所を追い出されたら、ホームレスですよ」
聞くと悲しい言葉だが、老人は笑顔と清々しい様子で語ってくれた。

写真は東急電鉄の大井町線・大井町駅の高架下に住む野尻浩史(73才) さん。

 野尻さんは今、67年間も住み慣れた大井町線の高架下住居から家主である東急電鉄に立ち退きを迫られている。
今年の八月に立ち退きを指示する東急電鉄側の仮処分を認める判決が地裁で降りた。
これは強制代執行(無理矢理退去させられる事)をされる可能性があるため野尻さんは裁判所に担保金50万円を収め、仮処分の停止の申し入れをしたところだ。

 「僕はここに6才の頃から住んでいるんだよ。戦後直ぐの事だ」
野尻さんはこの場所への思いを語り出した。
「父親は国鉄職員だった。当時国鉄の職員は薄給でね、それで母が一階の部屋を店にして、商売をはじめたんだ。父が仕入れて来た芋を蒸かして売ったり。食べ物が無い時代だから、良く売れたそうだよ。」

 高架下にも小さな家族の営みがあったのだ。

写真は野尻さん手作りの垂れ幕。


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 この高架下立ち退き問題は16年前の阪神淡路大震災の時に国交省から出された「耐震補強工事に関する申し入れ」があり、東急電鉄以下公共インフラ各社に通達された事に起因するらしい。
これらの事を前提に、約3年前に高架下の補強工事の為に居住者に立ちのくよう通告があった。

 「16年前に東急電鉄に言っておいて、我々住民には何の警告もなかった。だから家主の東急電鉄から耐震補強工事するから立ち退け、は寝耳に水だった。」

 立ち退き命令の条件は過酷な物で、問題が生じたら家賃は三割増で要求する、立退料は出さない等で、野尻さんは同じ高架下に住む商店や住人20数軒で立ち退き反対運動をするグループ「新道会」を作り抵抗を開始した。
しかし次々と立ち退いて行き、今、野尻さんの周囲には一軒しか残っていない。
そんな時、東急電鉄は野尻さんにだけ立ち退きの仮処分を求める裁判を地裁に起こして来た。

 「僕が立ち退き反対運動の会長をやっていたもんだから、嫌がらせだよね。」
と、苦笑いをする野尻さん(写真)。

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 裁判が始まったときから問題が起きた時に発生すると契約にある、家賃割り増しの請求もあってその損害遅延金が五ヶ月分も発生している。
野尻さんは無一文でここを出て行かなければならないのか。

 この高架の物件契約は最初は三年、後は一年ごとの更新で借家借地権法に基づかないもので住民の居住権は認められないものだったと言う。(一時貸し契約)
「僕は今、月8万円の年金暮らしだよ、兄弟と暮らしているから光熱費も割り勘だった。一人になったらどうすればいい?人権的にも人道的に問題だよ。」

そして冒頭の言葉に繋がる。

 東急電鉄は建前は耐震補強工事の為にと立ち退きを迫っているが、本当に耐震工事は必要なのか。
「3・11の時も被害はそんなに無かった。断水も停電もなかったよ。」
住民側から、耐震について苦情や不安の声も出なかったという。
「東急電鉄側は(僕らが立ち退いても)高架下を貸さないと言ってるが、そんな事はないよ。ほとぼりがさめたら新しく貸し出すよ、“戦後のしがらみ”を一掃したいんだよ。」

 立ち退きの仮処分を認める判決へ停止の申し込みをして50万円の担保を差し出した今、野尻さんはやる事はやった、と朗らかに笑う。
「僕にも意地があるよ、ここまで東急電鉄に虐められたんだから。」

 戦後直後から、家族で蒸かした芋を売って67年間生き延びて来たこの街で、野尻さんは今、まさに路頭に迷おうとしている。

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l東急電鉄が大井町線高架下住民に立ち退きを迫る林田力

 追記 おかげさまで野尻さんは東急電鉄と和解し、最悪の事態を免れました。
皆様の拡散に深く感謝致します。

 木星通信 拝。

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