2015年9月2日、2020年東京オリンピック組織委員会は多摩美術大学教授でグラフィックデザイナーの佐野研二郎氏がデザインしたエンブレムを使用中止、事実上の再選考をするとの方針を固めている事を明らかにした。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6172802

  先に伝えしたように、エンブレムのデザインを選出する選考員と受賞者は八百長を疑われる一部の特権的デザイナーで固められていた。
内々で同じ応募者と選考者が入れ替わっていたのだ。
デザイン選考委員会長は永井一正氏で子息は多摩美大教授の永井一史、佐野氏と教授仲間だ。

 根本的問題として、 「あのエンブレムは五輪大会に相応しくないのではないか」との声がネット上で散見された。黒い太文字とダークトーンの組み合わせは躍動感溢れるスポーツの祭典に不釣り合いなもので、私は「何故これが選出されたのだろうか?選考会はエンブレムデザインの主旨を理解していないのではないか」と疑問に思っていた。佐野氏のデザインはエンブレム(紋章・紋印)というよりも文字デザイン「タイポグラフィ」であって、コンテストの主旨に沿ったデザインではなかった。
佐野氏は自作エンブレムデザインでアルファベットを作り、記者会見で披露していた。やはり、佐野氏は「エンブレム」と「ロゴマーク・タイポグラフィ」の違いを理解してないのだろう。

 内々の選考会で当選が決まっていたら0から知恵を絞る努力をするモチベーションが湧かないし、かといって選出される作品のレベルは落とせない。
と、するとすでに選出された作品レベルの保証されたデザインから(発想の素)を引用するかパクるしかないのであって、後からあとから佐野氏の作品に疑義が出て来るのはむしろ当然と言ったところだろう。引用作品の仕込み(パクリ)から仕出し→(当選作品の投稿)→(なれ合いの選考会) が慣例化していて、今回も作品の引用が引き出すリスク想定がスッポリ抜け落ちていたのだろう。

 今回、選考員の頭にあったのは「世界に愛される優秀な作品を選出する」ではなく「佐野作品を当選させる」事だったのではないだろうか。
(参照記事:コンペ応募者に不信感 まず佐野ありきの選考の選考だった

  世界に示すエンブレムなのだから世界に類似作品があるかないか、そこで作品のふるいにかけるのは常識だろう。「佐野作品当選」が真っ先にあり、海外から訴訟を起こされるリスクを想定しなかったのなら、五輪のエンブレム選考委員会は審査員の素質ゼロだ。

 日本グラッフィックデザイナーズ協会は「今は刻々と五輪組織委から入って来る情報が変わり、性急な判断は避けたい。協会としてもコメントや見解を出すかどうか、判断は難しい」としている。
 
 今まで日本の美術界の中で慣例化していた「内向き選考会」はワールドスタンダードでは通用しなかった。世界に向けて、「日本の常識は世界の非常識」を披露したこの村社会の慣例化は今回で終わりにして頂きたい。 

 写真は新宿駅地下道に貼られたJALの「オリンピックオフシャルパートナー」を告知するポスター。
これらの差し替えや賠償も国民の税金である。

 新国立競技場の建替え問題といい、この佐野氏デザインの差し替えといい、オリンピックの準備段階で消えた税金は計測不可能だ。問題が起きた場合の懲罰やガバナンスがしっかりしていないので無駄な税金が投入しまくられる東京オリンピックは「日本の村社会の常識」を主張し、世界に恥を晒し続けるのだ。
 
sano

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