木星通信 @irakusa

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タグ: 市民メディア


2012年10月23〜25日のTwitterより。

「IWJ会員、初の減少傾向」

今回は少々残念な結果が。【IWJ会員数報告:10月20日現在】全有効会員数3,565名(内サポート会員854名、一般会員2,711名) 会員数が3名減少。サポート会員も10名減少。
会費を振り込まれない方は有効会員数から除くので、この結果になりました。初の減少です。

会員数が頭打ちになった問題について。真面目にこの現実を考えなくてはならない。すでに何回も述べてきているように、会員数が最低限でも5千人規模に達しないと、IWJは収支が合わず、赤字になってしまう。しかし、3500人から伸びない。この事実をどう見るか、見方はまず、二つに分かれる。

第一は楽観論。まだまだ、悲観することはないこれからの努力次第で好転する。会員の増加のために、何をなすべきか、考え、実行する、という積極策をとる。目指すは収入の拡大であって、支出の絞り込みではない。

第二の考え方は慎重論。この3500人という数字がIWJのもつ支持者数のマックスと考え、このサポーターに支えられるメディアとして、適性規模にダウンサイジングする。

これ以上、劇的な収入増は見込めないと考え、支出を絞る。最大の費目は、人件費。一日あたり、あるいは一週間あたりの配信の本数を減らし、その分、人員を絞り込む。あるいは、人員の削減、もしくは報酬の一律カット。ペイワークではなく、ボランティアのお願いを増やす。それらの組み合わせ。

昨日、金曜日官邸前デモを主催する反原連のメンバーの方が取材に来られた。本をお書きになるという。「岩上さんは自覚があるかどうかわからないが、IWJが中継し続けたのは、影響が大きかった」と、その方は語る。でも、そう言うご当人は会員ではない(苦笑)。 

「苦渋の選択?スタッフのリストラ」

IWJは自分が会員にならなくても存続していくメディアだと、皆さん、思い込んでいるのだろうと思う。無料でほぼすべてのコンテンツを配信し、事後的にカンパ等で支えてもらう現在のやり方は、小規模の時は可能でも、ある程度の規模になると、限界があるのかもしれない。

中小企業の経営者は、寝ても覚めても、経営のことが頭から離れないというけれど、本当にその通りなんだなと実感する。夢に見る。というよりも、寝ている間にも考えている。一番頭と心を悩ましているのは、ご縁あって一緒に仕事をし始めた仲間たちの、これからのこと。 

せっかく仕事を覚えてもらったのに、11月になり、新しい期が始まると、全員、今までと同じようなペースで働いてもらうのは難しい。それが本当に心苦しい。せっかく夢が形になりかけてきたのに、いくつかは、諦めなくてはならない。諦めてもらわなくてはならない。それが、実に実に悩ましい。


10/26金曜日、IWJの中継配信予定は25本。配信本数は、毎月のように増やしてきた。どれも必要なことと思うから。伝えられなかった事実は、この世に存在しなかったことになる。メディアの黙殺は国民に対するネグレクトに他ならない。

メディアコントロールという言葉は、人の口の端に乗るようになった。だが、メディアによるネグレクトは(生活隠しや、夏までの金官無視など、その典型)まだ広く知られていない。情報を過度に娯楽化して消費させてしまうメディアによるスポイルも、まだまだ理解されていないように思う。

IWJの情報発信本数を急激に増やしていったのは、日本社会の劣化が急速に進む現状に、危機感と焦燥感を抱いたから。やむにやまれずのこと。拙速だということは承知している。それでも、目の前の「報じられないられないけれど、報じなくてはならない事実」を見過ごすことができなかった。

計画性がない、ビジネスになってない、細部に粗がある等々、ご批判はもっともである。余裕があれば、すべて善処したい。だが、粗削りでも前へ前へと走り出さなければならない時もある。時間の猶予がない、そう痛感するからだ。

「IWJの出発点、全ての会見化のオープンを目指して」

IWJのすべては、僕がジャーナリストとしてやってきた仕事を、ネットを通じて拡張したことにある。原点は1人。プラスしても、2、3人のアシスタント。「WEB IWAKAMI」が出発点。

だが、岩上安身個人のパーソナルなメディアからIWJまでは、なだらかな地続きではない。そこには「段差」がある。きっかけは、2009年夏の政権交代直後に、金融庁と外務省の大臣会見がオープン化されたこと。その会見に通いながら、全省庁の大臣会見が開かれる日を想像した。

記者クラブメディアをいくら批判しても、オープン化された時、記者クラブに属さないフリーやネットや出版メディアが会見に出なければ、意味がない。しかし、フリーはそれぞれバラバラで(だからこそ意味もあるのだが)、10数人の大臣の会見に分担して出席する、などということはあり得ない。

会見は毎週二回、火曜と金曜日、閣議のあとに開かれる。10数人の大臣の会見はほぼ同時刻。同時にカメラと記者(1人で兼ねる場合もある)のチームを、10数カ所に派遣しなければならない。

今、IWJは同時多元中継をしばしば行っているので、不思議に思われないかもしれないが、全大臣の会見に同時に中継チームを派遣し、多元中継を行うなどということが弱小ネットメディアに可能だととは、当時、誰も思わなかったと思う。

また、全国各地からの多元中継も夢想し始めていた。全国47都道府県の知事の会見を中継しよう。そのネットワーク力が蓄えられれば、各地の事件、出来事の報道も可能になってゆく。東京だけで10数チャンネル、地方は最低でも47チャンネルというマルチ配信を2009年の秋にはイメージした。 
問題は、その規模になると個人メディアではなくなる、ということ。組織を編成しなくてはならなくなる。コストやリスクが大きくなることはもちろんだが、複数チームの差配という、手間もかかる。人も育てなくてはならない。個人としてやりたいことを犠牲にしなくてはならないだろう。

「報道と経営の責任を負って」

自由に、身軽に動き、旅をしながら作品としてのノンフィクションを書くことも可能なフリーランスの立場と、複数チームのリーダーとして、小なりといえどネットメディアの経営者として、拘束され続ける立場とでは、全く違う。人生の質そのものが変わってしまう。 
当時、僕は、介護をしてきた父を看取り、子どもも育て上げ、親が残した借金を返済し、肩の荷をようやく下ろして身軽になったばかりだった。身動きが取れない時代が長く続いたので、本音を言えば身軽に動き回りたかった。


だが、数ヶ月の逡巡と試行錯誤を経て、結局、僕は、「個人」として動き回るより、「組織」や「ネットワーク」の形成という事業を優先する選択をした。2010年の春、小さな事務所を構え、「WEB IWAKAMI」から「IWJ」への移行を宣言し、「移行期通信」というメルマガを出した。

2010年12月に、会社を設立(自分1人しか社員はいなかったが)。日米同盟の問題、上関原発問題、TPP問題、消費税増税問題、陸山会事件問題に取り組み始めていた。IWJ設立から三ヶ月後、東日本大震災が起きて、恐れていた原発事故が現実のものとなった。

地震直後、IWJには、僕以外には、メディア経験のほとんどない若い男の子が2人いただけだった。そこから東電会見や保安院会見の24時間中継や、抗議行動の可視化を始めた。三ヶ月後の6.11では全国55箇所同時中継を実現した。振り返ってみるとほとんど狂気の沙汰である。

が、これは震災の前からマルチチャンネルのビジョンを描いていたからこそ、実行に移せたこと。そうでなければ、いくら泥縄が得意と言っても、あの非常時に急にできるわけはない。

全大臣の会見中継の次は、全国同時多元中継、その次は世界ネットワークの構築だ、などと、自分の胸の中では考えていた。法螺話にしか聞こえないので、人にはほとんど話さなかったが、大真面目にそう考えていた。実際、海外からの中継も、今や現実に行い始めている。

業務が急速に膨らめば、出費もかさみ、無理がいろいろに出てくる。たくさんの人に寄付・カンパやボランティアで支援してもらわなかったら、とっくの昔に行き詰まっていただろう。ここまでこれたのも、支持して応援してくださる皆さんのお陰。改めて感謝したい。ありがとうございます。

「収支をどうするか、業務形態を押さえるのか」

これからがもう一つの岐路である。収入が増えて支出とバランスするか、支出を削って現在の収入のレベルで帳尻を合わせるか。IWJの経費の最大の費目は人件費。それを抑制するには根本的には配信本数を削減しなくてはならない。

週末の明日、25本配信すると書いたが、これを5本程度に抑え、その規模に人を削れば、すぐにでも採算は合う。もちろん、会員もカンパも減るだろう。そうしたらまた配信本数を減らす。収入が減ったらまた配信を減らす、と繰り返していったら、何のことはない、個人メディアに逆戻りである。

この曲がり角を乗り越えて、初志を貫けるか否かは、まさにこれから。個人メディアの延長ではなく、チームとして機能するメディアを作ること。無償で情報をシェアし、事後に我々のそうした姿勢への共感としてカンパしてもらうシステムが、可能かどうかという実験の成否もまさにこれから。

究極的には、市民からどれだけ支持されたかが、決め手となる。我々の適性規模は、もしかしたら、会員3500人規模なのかもしれない。それならそれで、その会員のニーズをより尊重する方向に向くべきかもしれない。

「IWJはどう変化するのか?模索するこれからの事」

方法についての考え方はいろいろである。何かが絶対的に正しく、あとは間違っているというわけでもない。見通せるのは、半年先。手探りで、持続可能な規模と形態を探り当てるまで、あと一、二ヶ月、様子をみようと思う。拡大均衡の方向へ、できる限りのベストは尽くしながら。

種を蒔いてから、芽が吹き、実りを得るには、時間がかかる。僕らは何もないところからまず走り出した。あとに積み上がったアーカイブが3千本を超える。この整理がなかなか手をつけられなかったが、この数ヶ月、かなりのエネルギーを割いて整理し続けている。

三千本を超える動画も(変換、アップロード、ハイライト作成)、テキストも(リード、サマリー)、タグ付けも。それを見やすく検索するためのシステムも構築中。アーカイブの充実は、会員向けのサービス。目に見えないところで全力投球中なので、今しばらくお待ちください。 




IWJ公式サイト
http://iwj.co.jp/


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SNSの発展により、今での報道が持っていられた発信力が冒されたのは記者クラブメディアだけではない。

フリージャーナリストにも影響はあった。

無償の発信力、瞬間的に事件・事故を発表出来るツールは、フリーランスにとっても実は脅威であった。
特に3・11から“読者の変質”に鈍感または無関心だったのも記者クラブメディアだけではなく、フリーランスにもその傾向は見られた。

震災報道の不信感から“自前で報道”の市民メディアが立ち上がった。 震災・原発市民ジャーナリズムである。
それらは実際の被災地や被爆地、または東電会見へ赴く事により、エビデンスに正確であり、SNSや動画サイトを使う事により俊速な報道として 価値を持った。

しかも私の知る限り、大抵は無償であった。
3・11は震災の被害の大きさ、原発事故被害の情報隠蔽(杜撰であちこちから漏れていた)により、一層市民が情報発信をして行かざるを得ない状況を作り出した。

市長が、議員が、市民が、ダイレクトにフラットにジャーナリストを通じず、声を上げWebに写真を載せる。

これらが何を意味するのか。 しっかりとした従来からの固定購買層を持つ大新聞、スポンサーのあるテレビメディアの記者クラブよりも、情報の鮮度にズレがあり、記事にいちいち対価が発生するフリーランスにダメージがまず来るのではないかと思った。

フリーランスは購買力が落ち続けてるとはいえ、一致団結が強固の「記者クラブメディア」とむしろ旗を仕立てたような破れかぶれの「新生市民メディア」に挟まれて驚いているのが現状ではないか。

故に、3・11以降の情報発信力を得た市民メディアが作る「新市場」が発生した事に中々気がつかなかった社会リサーチ能力をどう養うか、がフリーランスの生き残る道ではないかと思う。フリーランスは記事を書くだけではなく、読者の変質もリサーチする事が要求される。
フリージャーナリストにとって3・11以降が好機ではなく新しいサバイバルの時代になったのである。
 
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