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子どもの甲状腺「福島、他県と同様」 環境省が検査結果
 

が発表された。それによると、福島の子どもたちから見つかった甲状腺系の病気の罹患率は他県の子ども達とほぼ同じ結果だと言う事で、福島で見つかった子ども達の甲状腺癌は福島原発事故と関係ないのではないか、との認識がネットなどで広まりつつある。しかし、これにはどうも首をかしげるものがある。

 ___沿岸部と山間部では甲状腺の罹患率は違う__

甲状腺ガン/ヨウ素と甲状腺
から引用してみると、


引用「日本人がよく食べる海藻に多量に含まれているヨードの摂取量と甲状腺ガンとの関係が話題になっている。
海藻をあまり食べない低ヨード摂取地域のスイスでは、甲状腺ガンのうち、濾胞ガンや悪性度の高い未分化ガンの割合が多い」引用終わり。とある。
つまり、内陸部、山間部の甲状腺系の疾病率と沿岸部の疾病率は正比例ではないのだ。
福島の子ども達の甲状腺系の疾病率を調べるのには正確かつ公平さを厳守するには、同じ福島の地形の沿岸地形の多い市か街の子ども達でなくてはならない。

 しかし、内陸の地形である甲府市の子ども達を調査に使うのは、「福島の子ども達の甲状腺系の罹患が原発事故の由来ではない」事への証明にはならない。
明らかに甲府の子ども達の方が、福島の子ども達よりも海草類を食事でとる機会が少ない。
甲状腺系の罹患は福島の子ども達よりも高いはずだ。

 NHKの報道によると、「
このため、環境省長崎市甲府市青森県弘前市の3〜18歳の子ども4365人に、同じ性能の超音波機器、同じ判定基準で検査をして比べた。」
とある。長崎市と弘前市は沿岸部が多いからヨードの取り込みも多いだろう。
しかし甲府市を入れるのはフェアではないのではないか。

 さらに、検査された子ども達4365人のうち、どれだけ甲府市の子ども達が居たのか。きちんと%を書くべきだ。

 また福島では子ども三人に甲状腺癌が見つかり、手術しているが、上三市の子ども達の甲状腺の癌発症のケースはここでは報告されていない。

 他県と同じだから、福島の子ども達の甲状腺系の病気は福島第一原発事故由来でないとする論説には異議を申し立てたい。

 追記:3月11日に環境省へ問い合わせ。応対は環境省放射線健康管理担当参事官長田。
弘前市と長崎市と甲府市のそれぞれの調査人数は分りません、と答えた。
何故分らないのか、と尋ねると「依託なんで」「速報なんで」と繰り返した。

 この日、環境省は4365名の三市の内訳が分らないという答えに終始した。

 また甲府市役所に問い合わせたところ、環境省の独自の調査で、こちらには情報は降りて来ていないと言う事だった。
環境省は子どもの甲状腺の検査を地元自治体に事前・事後の報告もしてないらしい。

 さらに、甲府市市役所職員に「甲府市は沿岸部にくらべ、ヨードの摂取が少ないと思うか、個人の実感で構わないので教えて欲しい」と尋ねたところ、「沿岸部に比べて、海産物の摂取は少ないと思います。スーパーなどで売られている海産物は冷凍品が多く、品物の種類も限定されていると思います」と答えてくれた。

 福島と山間部のヨード摂取量について、知見のある方、または両市の食生活の違いについてご存知の方、木星通信まで情報を寄せ下さい。宜しくお願いします。

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 2013年2月16日、午後二時から東京・三鷹市の芸能劇場で警戒区域に指定された牧場で被曝した牛を生かし続ける「希望の牧場・福島」代表の吉沢正己さんが講演会を行ないました。
150人を収容する会場は満席、立ち見も出る盛況となりました。 

 2011年3月11日まで吉沢さんは福島の浪江町にある牧場で約300頭の牛を預かり、繁殖・肥育を手がけていました。3・11の福島第一原発事故後は牧場が警戒区域に指定され、被爆した牛は国から殺処分の命令が出ました。吉沢さんは東電、政府に抗議行動を開始して、警察に警告を受けながら、今も牛達に餌をやり続けています。

【国は情報を隠している】
 吉沢さんは登壇すると、スクリーンに映し出された牛や豚の死骸の写真を背中にして、警戒区域で牛と共に生き続ける事で「原発を乗り越えた社会を作りたい」と、訴えました。

吉沢「11日に大地震が起きました。そして津波、それから原発事故。12日に 福島県警の通信隊が来て、牧場を映像中継基地として貸してくれと言って来ました。一号機が午後三時半に水素爆発して通信部隊は「とうとう来るべき物が来てしまった。撤退命令が出たから我々は申し訳無いけど帰るけど、国は情報を隠している。牧場の人はここに居ない方が良いよ」と言いながら帰って行きました。僕は何の事か分らなかったけど、県警の通信部隊の人達は政府が「SPEEDI」情報を隠しているのを分っていたんだと思います」

牛の死209

吉沢さん2 【放射能に逃げ惑う浪江の人達】
 吉沢「3月11日の日、浪江町の港の方には助けを呼ぶ声とか車のクラクションの反応とかそういうのがあったそうです。でも救援を断念して、12日早朝に浪江町長はテレビを観て全町をあげて、山間部の津島に避難を決めたんです。凄い数の人が津島に移動しました。

 自衛隊は装甲車とか部隊がテントを張って構えていました。警察の人達は線量計を持って「放射線は千倍あがっている」と何回も検問で止められるんですけど、かいくぐり、牧場に餌をやりに行きました。3月14日に三号機が爆発するんです。僕はその音を聞いてしまいました、牛舎で餌をやっていると遠くで重い花火が上がる爆発音が連続的にしました。11時の事です。

 その日は暖かく、山の方に南風が吹いて、雨が降り、やがて雪になりました。浪江町の人は人口の半分、9千人が津島に固まっていました。津島の人と会わせて約一万人固まっていました。なのに、そこに、放射能が猛烈に降ってしまった。

 浪江町の避難に当たって一切の情報の伝達はありませんでした。東電からも国の方からも、オフサイトセンターからもなにも連絡は寄越しませんでした。
でも分ったんです。15日の日に二号機、四号機の爆発があった。とんでもない放射能が津島に降っていると。(津島にいた)浪江町の人達は総崩れになって二本松に逃げました。
その光景も僕は見ていました」

【自衛隊、消防団、警察は 「決死救命」】
 吉沢「20日に出荷する予定の牛が居たんですが、出荷先から断って来ました。被爆した牛は意味がないと。四つも原発の建屋が吹っ飛んでしまって。僕は17日、自衛隊の(三号機への)空からの放水作業を双眼鏡で見ていました。そして原発の排気塔の高さまで真っ白い噴煙が上がるのを見てしまった。
とうとう見てしまった。自分の目で見てしまった。そして東京電力は第一原発から撤退をすると言う報道が流れました。
 17日には自分の牧場、もはやこれまで、と思いました。そして東電に行って「なんで逃げちゃうんだ」と言わなくちゃいけないと。
あの時はガソリンがなかったんです。ガソリンスタンドにはガソリンがなかった。自分の農場にあった軽トラの古い廃車からドライバーで穴空けたら洗面器にちゃんとガソリンが出て来たんです。

 あの自衛隊の人達、東京消防庁のレスキュー隊の人達、あの決死の放水作業の中で彼らはきっと死んじゃうだろう。彼らが日本の危機を救うだろうと感動しました。彼らは決死隊、決死救命だ。
彼らのそういう組織だった闘う力によって原発の危機を押さえ込む事が出来る。
そして自衛隊の人は何人か死ぬだろう。「決死救命・団結」そう看板にスプレーで書いて東京電力に向かいました。東電の場所はだいたい分っていました。18日の日、東電に着いて「300頭の牛が死んじゃう!」とワーっと泣いたらビックリして機動隊も警察も通してくれました。

吉沢


 私服の刑事さん二人も応接室に入って来て。何かあったらいけないだろうと言う事で。僕はかまわないよ、と。

 出て来た東電の総務の主任さんに 「絶対裁判するぞ。なんでアンタ達にげちゃうんだ」と。自分達が作った原発自分達が動かしている原発、それが制御できないでどうするんだ。今東電がやる事は自衛隊の人達と放水する事だろう。俺だったらホース持って建屋に飛び込んでいくよと。総務さん、最終的に泣いちゃうんです。で、行って良かったな、と思いました。意味があったと思いました。農水省にも「国としてこの牛達を助ける手だてをして欲しい」と言いました。

 原子力安全保安院にも「安全だと言って来た。だけどあの三号機の爆発、14日はプルサーマル運転中だっただろう。福島県にプルトニウムが汚染が飛び散っただろう」と。
一週間ほど東京に居ながら、車に寝泊まりして。僕らは放射能まみれで真っ暗で。でも東京は計画停電で少し暗いだけだと、うん」

【警戒区域に指定された】
 吉沢「牧場は2011年4月22日に警戒区域に指定されました。(許可証無く立ち入ると)罰金10万円です。でも市役所からは許可証を出してもらえませんでした。牛を餓死させない為に、バリケードをずらしたりして餌を置きに行きました。でもお巡りさんに見つかったりしました。書けって言われるから、始末書を何枚も書きました」

【殺処分の通達が来た】
 吉沢「5月22日に総理大臣指示で警戒区域で餓死以外に生き残った被曝牛の殺処分の指示が来ました。
農水省や県の方から農家に同意を求める説明会がありました。浪江の農家も凄く揉めました。
農家に同意を求めるという事ですけど、半分強制なんですね」

【浪江町のキノコは四万ベクレル】
 吉沢「僕らの体験した避難民、被曝民の声は伝えなくてはいけない。こうなるんだよ、こうなったんだよ。(原発事故後)浪江町のキノコは四万ベクレルになった。東電に「お土産だよ、食べれないけど。」と置いて来た」

 吉沢さんは一時間程、満員の聴衆に向かって警戒区域で牛を生かし続けて行く事で原発事故に向き合い、原発の無い社会作りに向けてメッセージを発信し続けて行きたいと訴えました。

【参加者達の声】
 会場の参加者に感想を聞きました。
男性「僕は東京都民ですが、人ごとじゃないし、福島から電気を送って貰っていた事になんの疑いも持たなかった。僕らも被害者で加害者なんです」
女性「Twitterなどで見ているのと違って、生で声を聞く事は大事だと思いました」

 講演中、「希望の牧場 福島」を支援する為のカンパ袋が会場で回され、集まった金額は128,665円になり、全額が「希望の牧場 福島」に寄付されるというアナウンスが流れると、会場は暖かい拍手に包まれていました。

『希望の牧場・ふくしま』支援物資の宛先は
物資の送付先】

975-0042

福島県南相馬市原町区雫南大江下258-3

ヤマト運輸原町小高センター止め

 希望の牧場・ふくしま

 (エム牧場 浪江農場)

 針谷 勉 宛

 090-1279-2106


なお、

ご送付の際は、希望の牧場・ふくしま事務局宛てにメールをして欲しいという事でした。

kibouno.bokujyou@gmail.com



 希望の牧場福島 公式ブログ
 
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3・11以降、原発事故が起きてから見慣れない、耳慣れない言葉がニュースで飛び込んで来る事が増えた。

臨界、再臨界、メルトスルー、ベクレル等、科学的な、工学的な専門分野の言葉が入り乱れて、ニュース全体の問題がぼやけてしまって、今何が起きているか、事件事故の本質が判らなくなってしまっている。

そんな中、フリージャーナリストの烏賀陽弘道さんが福山哲郎参議院議員にオフサイトセンター(国が設置した原発事故が起きた時の災害対策本部)が災害時、どのような働きをしていたかをインタビューした。
政府と福島第一原発事故現場と連携を取っていたか、市民には中々届き難い生々しい実態を語っている。
「意志決定の判断材料は与えられていなかった」

これを読むと、センターの設置場所の杜撰さが判る。
事故対応センターなのに原発事故間近だったため、いざと言う時には職員が避難しなくてはならない。
政府機関への連絡の遅れという程度の事ではなく、官邸・保安院は無視され、報告は上がらなかった。
災害現場の情報は東電が止めていたと言うのだ。

此処から見えて来る原発事故の恐ろしさは何だろうか。

当時、一時期だが、一民間企業の東電が事故
対応や補償の権限を全て握っていたという事態が起きていた。
これは国民を被曝から守る、自然や農産物、海産物への被曝を防ぐと言った早急の対応を事故を起こした東電本社全てに依存していたようなものだ。

オフサイトセンターは保安院にさえ報告を上げなかったという。
警戒区域を決め、ジャーナリストの立ち入りを禁じているのもオフサイトセンターだ。

福島の警戒区域内で殺処分を言い渡された牛を飼い続ける吉沢正己さん「希望の牧場・福島・代表」は
牧場へジャーナリストを案内しただけで地元の警察に連行され、事情聴取を受けた。
オフサイトセンターは今、警戒区域の設定を厳しくして被爆地対応の他に実態調査や報道を阻害している。
事故の大きさ、被曝の悲惨さを過小させたいからだろう。
代表吉沢へ 南相馬警察署から出頭要請
オフサイトセンターは今、事故の責任、証拠隠しの根城になってしまっているのではないか。

忘れてはならないのはこの城を支えてる税収は我々が払う電気料金だと言う事だ。
国営化された東電に払う電気料金は形を変えた税金だ。
城の王様は、税金を払わない「領民」を「節電」や「停電」で脅し、税金を搾り取る。

この王国から逃れる術は自家発電機を作るか、海外に逃げ出すしかない。
インフラを操る東電に対して闘う術はそれしか無いのか。



 
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